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『永遠の0』/百田尚樹 [講談社]

(あらすじ)

日本軍敗色濃厚ななか、生への執着を臆面もなく口にし、仲間から「卑怯者」とさげすまれたゼロ戦パイロットがいた……。 人生の目標を失いかけていた青年・佐伯健太郎とフリーライターの姉・慶子は、太平洋戦争で戦死した祖父・宮部久蔵のことを調べ始める。
祖父の話は特攻で死んだこと以外何も残されていなかった。 元戦友たちの証言から浮かび上がってきた宮部久蔵の姿は健太郎たちの予想もしないものだった。凄腕を持ちながら、同時に異常なまでに死を恐れ、生に執着する戦闘機乗り……それが祖父だった。
「生きて帰る」という妻との約束にこだわり続けた男は、なぜ特攻に志願したのか?
健太郎と慶子はついに六十年の長きにわたって封印されていた驚愕の事実にたどりつく。 (講談社BOOK倶楽部より)


永遠の0 (講談社文庫)

永遠の0 (講談社文庫)

  • 作者: 百田 尚樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/07/15
  • メディア: 文庫



感想は追記にて
(感想)

まず、私がなぜこの本を読み始めたか。そこから触れておきたいと思います。

それは、2013年6月19日の朝日新聞に掲載された記事がきっかけでした。

該当記事リンク→読者の右傾化?不満の表れ?「愛国エンタメ小説」が人気

朝日新聞の記事は確か3ヶ月過ぎると削除されるようになっていたと思うので、記事も転載しておきます。もしもこれが不適当な場合は削除します。

【中村真理子、山田優】近頃、エンターテインメント小説に、愛国心をくすぐる作品が目立つ。なぜ、読者の心をつかむのか。  安倍晋三首相も「面白い」と太鼓判を押す今年の本屋大賞受賞作、百田尚樹「海賊とよばれた男」は「日本人の誇りを失うな」と訴えかけ130万部超のベストセラーに。  エンタメ小説の新人賞、江戸川乱歩賞は今年、最終候補5作のうち2作が太平洋戦争末期の日本軍を素材にしたミステリーだった。同賞事務局である講談社の担当者は「偶然、重なっただけだと思う」という。  優れたエンタメ小説を選ぶ山本周五郎賞。先月の選考会で、受賞を逃した山田宗樹「百年法」について選考委員の石田衣良さんは「右傾エンタメのパターンを踏んでいて残念」と講評した。同作の舞台は不老不死が実現した世界。ゆがんだ社会を立て直すためリーダーは国のために犠牲になった先人らをたたえる。  「右傾エンタメ」とは石田さんの造語。「君たちは国のために何ができるのか、と主張するエンタメが増えているような気がします」。百田さんの2006年のデビュー作「永遠の0(ゼロ)」から気になっていたという。同じ年、安倍首相の「美しい国へ」がベストセラーになった。  「永遠の0」は、特攻で命を落とした祖父の人生を26歳の青年が追う物語。特攻隊の男たちの迷いや弱さに焦点をあてて、読者の支持を得た。ネットに読者が寄せたコメントは、命を落とした人々への尊敬と同情にあふれている。石田さんは「かわいそうというセンチメントだけで読まれているが、同時に加害についても考えないといけないと思う。読者の心のあり方がゆったりと右傾化しているのでは」。  「永遠の0」がいわば骨太な愛国エンタメなら、現代の日本の自衛隊をラブコメで描く作品も人気だ。

この後、『空飛ぶ広報室』『碧空のカノン』『亡国のイージス』『終戦のローレライ』というタイトルが出てきます。この中で読んでいるのは『空飛ぶ広報室』だけですが、この記事で書かれていることが作為的だと感じました。批判記事を書こうとも思ったのですが、『空飛ぶ広報室』しか読んでいない状態で記事の批判はできないと思い、まだ手を出していなかった本作を読もうと思ったわけです。

この作品を読んで感じたのは、非常に良質の物語であることです。終戦直前に特攻隊として散った祖父・宮部のことを調べるために、孫の主人公とその姉が彼のことを知る人たちに話を聞いていきながら、祖父の真実に辿り着く、という話の展開になっていますが、この展開がまずうまい。

少しずつ明かされていく祖父の真実。「お国のために」という時代に合って「生きて帰る」と口にしていた祖父の姿。その祖父が何故特攻隊として飛び立ったのか。少しずつ明かされていく真実を早く知りたい、と思わずページをめくっていました。小説という形式を取っているため、主人公や姉と言った存在はいますが、話の大部分は祖父のことを知る人物たちの語りとなっているため、主人公は読者が姿を重ねるための存在であるように感じました。

祖父の真実を知ることが話のメインになるわけですが、そこから読み取れるのは戦争という時代の過酷さだと感じました。心の中では「生きたい」と思っていても、それを口にできない時代の空気。絶望的な状況と言うことが分かっていても、上官の命令に逆らうことができないために、命を捨てなくてはいけない戦争という時代。これを読んだ読者は、戦争の恐ろしさを強く感じ、「戦争をしてはいけない」と強く思うようになると感じました。これは、反戦意識を高める最高の物語だと思いました。学校でも、これを読ませるなり、一年に一人分の章を聴かせるなりすればいいんじゃないでしょうか。

個人的にはたくさんのことを考えさせられました。この物語を読むにつけ「あの戦争は負けるべきして負けるせんそうだったんだなぁ」と感じました。それは、当時の軍のトップが責任を取らない、作戦が場当たり、現場を知らない、キャリア主義、などです。そして、それを現代の日本に当てはめてみたとき、どうなのか。登場人物の一人も語っていましたが、今の官僚制度も政治家も当時の軍上層部と変わっていないのではないか、という思いも生まれてきました。

また、戦争中は軍人をもてはやしながら、戦後は蔑む国民の姿。これもちょっと考えさせられました。これって、周りに流されやすい、或いは扇動されやすいという国民性を表しているのではないか、と。

そんな本作ですが、読み終わって決して「可哀想というセンチメント」だけで読まれる作品ではないと強く感じました。確かに、時代の翻弄された宮部という人間を含む軍人たちの姿には、同情が集まると思います。しかし、そこから生まれるのは「だからこそ、今の平和を大切にしなくてはいけない」「今を大切に生きなくてはいけない」という思いだと思います。

ここでちょっと脱線。「可哀想というセンチメント」と語ったのは石田衣良氏ですが、その後の「加害についても考えなくてはいけない」というのは全くの的外れの意見だな、とも思いました。たしかにそれは戦争を考える上で必要な事であると思います。もしこれが「戦争」というものを考える「評論」であるならば、ですが。そして、「エンターテイメント」作品でバランスよく配置する必要があるのでしょうか。私はそれとこれとは別の話で、別の作品で表現していい性質のものだと思います。なんなら、石田衣良さんが戦争の加害について考えさせるような物語をエンターテイメントにまで昇華させて発表すればいいのではないでしょうか。彼にできたら、の話ですが。それに、そもそも戦争の加害についてはそれこそ朝日新聞などによって散々考えさせられているのではないか、とも思います。

この物語の中で、「特攻はテロだと思う」と自分の信条を頑固に貫く記者が登場します。そして、その記者と所属する新聞社を登場人物の一人が罵倒するシーンがあります。新聞社に関して「戦後変節して人気を勝ち取った」という登場人物の言葉から、「あー、朝日新聞だなぁ」と分かります。この部分を読んだとき、もしかしてこの部分があったから嫌がらせにこの記事で取りあえげたのではないか、と思ってしまいました。記事を見る限り、作品を読んでない可能性も否定できませんが。

話を本題に戻します。話の展開も非常に巧みですね。まるで本当に自分が話を聞いているような気分になっていたので、ラストの展開はこの物語が「小説」であることを感じさせました。ただ、この展開でないと物語が引き締まりませんでしたね。ここで思わず涙腺が崩壊してしまうのではないでしょうか。あまりにも切ない思いは、何よりも尊いもののように感じました。

講談社BOOK倶楽部の作品紹介ページには著者メッセージが載せられています。そこには、

「永遠の0」を読んで下さった皆さんが、「自分の人生は誰のためにあるのか」という思いに至り、生きる喜びと素晴らしさに気付いてくれたなら、著者として、これほど嬉しいことはありません。

と書かれています。この作品は、弁護士を目指しながら司法試験で失敗。その後くすぶっている主人公が、祖父の真実を知っていくことで立ち直っていく、という物語でもあります。そして、主人公と同化している読者もまた、「自分の人生について」ということを考えるのではないか、と思います。そして、戦争の時代を知ることで「今を大切に生きなくてはいけない」という思いではないでしょうか。戦争を知ることを通して、自分の人生を見直すきっかけと、この『永遠の0』という作品はなるでしょう。

戦争を体験した世代が亡くなってしまうこれからの時代にこそ、この作品は意義があります。確かに、「愛国心」は育つと思います。しかし、その「愛国心」の中身は「戦争という時代をくぐり抜けて復興したこの国を大切にしていき、二度と戦争をしないようにしよう」というものになるはずです。決して戦争をするような愛国心は育ちません。育つはずがありません。このような本こそ、これからも読まれ続けるべき価値のある本です。

個人的な思いとして、今現在の日本では、出版不況と言われながらたくさんの本が発売されています。これから電子書籍が普及すると、一般人の出版も容易となり、さらにたくさんの本が世に出ることになるでしょう。そんな現在において、果たして100年後も読み継がれるような本は何冊あるんだろう、と疑問に思うことがあります。長い間読まれ続ける本でなくてはいけない、というつもりは毛頭ありません。しかし、下手すると全然残らないのではないか、と感じることもあります。そんな中、この『永遠の0』は50年、100年と読まれ続けるに耐えられる力を持った作品だと思います。そんな作品を読むことが出来たことは、大変嬉しいことでした。
タグ:小説
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HINAKA

お久しぶりの、HINAKAです。

takao様

御免なさい、「永遠の0」は読んでいません。
というか、中学生の時に吉田満氏の『戦艦大和ノ最期』を読んで、今で言う戦争オタになり、色々読んだり見たりしましたが……その影響で初代TVアニメ・シリーズ「宇宙戦艦ヤマト」にアニオタ開眼?いや、もっと前からか……。
でまァ、イヤになったのですネ。近代戦闘モノが、だってもう実写が、残っているのですもの。

と言いながら、トラックバックさせていただく通りに、1点豪華主義的な、メカ好きではあるのです。
ただ、今年最も日本国内で人気になるであろうアニメ、宮崎駿監督の『風たちぬ』でしょう。そしてこれもモデルは、いわゆる「0戦」の生みの親・堀越二郎氏だという話です。どうして今さら、とも思うのですが孤高の天才。1代の名機・名作。と言う点で、非常に宮崎監督に近い、そして日本人的な存在かも知れません。「0戦」と堀越氏……ゴジラの円谷氏、日本の二大文化産業を成立させた、手塚氏。

いつも思うのです。
確かにその時、その場の日本人は偉かったし、作ったものは名作・名機だった。だけどどうして、それらは継承されない?
マンガ・アニメは産業として残っているけれど、他のほとんどは継承、発展されないまま、2世代20年を経ずして、消えて行きます。
この事から「懲りない日本人!」という意識が、どうしても拭えません。戦争・戦闘を美談としながら、復員した傷病軍人を忌み、肝心の戦争の総括は残念ながら、当時の戦争最高責任者達が、見事に口を拭った為に、未だに本当のところはわかりません。

しかも、その中の多くの関係者は、戦後の日本の政治家・企業トップとして、返り咲いています。
今も、福島原発の事実と実体から、目を逸らし文字通り全てを海に流して、終わりにしようという雰囲気が、漂っています。
「他人の罪を忘れやすいのは、美徳かも知れませんが、自分の、自分達の罪までも忘れやすいのは、問題でしょう」

もちろん謝ればいいと言うものでも、無い事は確かです。
ただ、「反省と検証と総括無き、結論」では、誰も浮かばれない気がするのです。
まさにこれから、日本の夏。鎮魂と、慰霊。反戦と反論の季節です。堀越二郎氏の第2の0戦として、「紫電・改」が知られていますが、彼はもっと様々な飛行機を作りたかったようです。
「0戦に200キロ爆弾を抱えさせてどうする?」軽戦闘機として誕生した0戦を、汎用性の万能戦闘機の様に言われて、彼は呟いたそうです。

長文で、失礼いたしました。
by HINAKA (2013-07-15 06:15) 

takao

HINAKAさん、コメントありがとうございます。

私は残念ながら戦争関係のことは殆ど知りませんし、零戦にも思い入れがない人間だったりしますが。
この作品の中に「「思想」が根本から違っていたのだ。日本軍には最初から徹底した人命軽視の思想が貫かれていた。そしてこれがのちの特攻につながっていったに違いない」(P.326)という部分があります。
その最たるものとして、登場人物が戦闘機を挙げているのを読んで、色々考えさせられてしまいました。

今の世の中の現状、労働環境を考えると、相変わらず「人命軽視」とも言える状況が続いていますし、今も昔も変わっていないのでしょうね。

by takao (2013-07-15 20:00) 

蟹

突然に失礼いたします。
全く同感。的を得た感想だと思います。
by (2013-07-24 16:11) 

takao

蟹さん、コメントありがとうございます。

私の感想に同感していただける方がいて、私も心強いです。
ありがとうございます。
by takao (2013-07-24 21:01) 

通りすがり

紫電・改こと紫電21型は堀越死の手によるものじゃないですよ。
零戦が三菱で設計されたのに対し、川西飛行機の川西龍三技師の設計です。

また零戦が防弾装備がなくて人命軽視ともとられてますが、
それが非力なエンジンを使うしかなく、高馬力のエンジンを開発できなかった悲しさでしょうね。
by 通りすがり (2013-08-24 23:39) 

takao

通りすがりさん、コメントありがとうございます。

すみません。そちら方面の知識は全くありませんので、全然知りませんでした。
せめてググるくらいしないと駄目ですね。
自分の無知を反省するばかりです。

零戦に関しては、高馬力エンジンが開発できなかったための防御力のなさ、ですね。
高馬力のエンジンが開発されていたらどうなっていたか。
ただ、資源が無い状況は変わらなかったでしょうから、あまり状況は好転しなかったかも知れませんね。
by takao (2013-08-25 00:18) 

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